ビューティーたか

終活は未来を安心して迎えるための第一歩。終活への準備を始めませんか?


生きる意味とは・・・


やりたいことをやった上に、才能を発揮してすばらしい結果を残した人たちでも、
臨終に後悔しているのです。

・足軽から天下を統一し、太閤にまでのぼりつめ、欲しいものは何でも手に入れた豊臣秀吉は、臨終にこのような寂しい辞世を歌っています。
「おごらざる者も久しからず 露と落ち露と消えにし我が身かな
     難波(なにわ)のことも夢のまた夢」
(豊臣秀吉・辞世の句)

・文豪・夏目漱石は、晩年の随筆『硝子戸の中』でこのように書いています。
「今まで書いた事が全く無意味のように思われ出した」
(夏目漱石)

すべての人はやがて必ず死んでいきます。私たちも例外ではありません。
人生を終わっていくときには、一体どんな後悔が起きてくるのでしょうか?

それは、よくある「やりたいことをしなかった後悔」とはまったく別の後悔であることが知られています。

死ぬときに後悔すること
人は、まもなく自分が死ぬと自覚したとき、今までとまったく違う後悔が起きてきます。

それは、臨終に自分の人生を振り返ったときに起きてくる
「自分の人生は一体何だったのだろう?」
「自分が生きてきた意味はあるのか」という「人生の目的への後悔」です。
この心の痛みを近年は「スピリチュアル・ペイン」と言われます。
医学では、肉体の苦痛には対処できるのですが、このスピリチュアル・ペインといわれる心の痛みはとることはできません。まったくのお手上げです。

これをお釈迦さまは、「大命まさに終らんとして
悔懼(けく)交(こもごも)至る」
(『大無量寿経』)と説かれています。

「大命(だいみょう)」とは、肉体の命です。
「まさに終わらんとして」ですから、命がいよいよ終わろうとする臨終に、ということです。

「悔(け)」とは、過去に対する後悔
「懼(く)」とは、未来に対する怖れです。

臨終の人の心に、後悔と怖れが代わる代わる起きてくるということです。

過去に対する後悔とは、これまでの人生を振り返って、何にもならないものばかりを
求めてきたという後悔です。

死出の旅立ちには、今まで必死でかき集めたお金も財産も一円たりとも持っていけません。

愛する家族もついては来てくれません。
自分の肉体さえも焼いていかなければなりません。人生に求めるものが間違っていたのです。

物心ついた頃から死ぬとわかっていたのに、
なぜ死の大問題を解決しなかったのか。
死を見つめずに、目を背けて逃げ回っていたのか。

あと回しにしているうちに、あっという間に人生が終わってしまい、
取り返しのつかない後悔をするということです。


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